| |


|
| ●折節に思うこと |
|
生きているという行為は、折節に起きた出来事と折り合いをつける事なのかもしれない。今年53才になるから、そこそこには世間を経験してきた。中にはドラマのなかで主人公を演じているような感覚を味わった事柄もいくつかある。その場面場面で、けっして逃げることはせず対処してきた、つもりだ。「よろこび」もあったが『むなしさ』を感じることも多かった。むなしさというよりも、むしろ「せつなさ」と言えるかもしれない。常に思うことは「ドキドキ」していたいこと。仕事であれ、なんであれ人と接するときはにはそう感じていたい。振り返って書き連ねることはしない。あと10年生きられるとしたら、その時はちょっと誰かに話してみたくなるかもしれないが、今は胸の内において、私とともに消えていけばいいと思っている。
相手の存在が見えないときがある。見えたと思っても勘違いかもしれない。そんな時は距離が測れない。どのくらいの距離感で接していいのか分からない。たぶん相手はそれほどに意識してないんだろうと思う。私との距離感、いや私の存在自体を認識していないから、積極的に情報発信する必要がないんだと思う。この状態はつまり「縁」がないという状態。縁がないから、輪郭もつかめない。
真摯に立ち向かったつもりでも、そうはとられないことがある。人に理解してもらうことは難しい。敢えて理解してもらう必要はないにしても、自分の気持ちに折り合いをつけるのに苦労する。人はひとりでは生きていけないが、思いわずらうことならひとりでできる。 |
|
|
|