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| ●自然の叡智 |
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自然とは手つかずの状態。手つかずとは人のいない状態。自然の叡智という言葉の中に人は含まれない。人は自然の叡智に何を学ぶのか?
環境が大事、自然を大切にしなければならない。そうだとしても、環境を冠にいただいて21世紀をみたとき、明るく輝く未来が見えてくるだろうか? どうもそうは思えない。ゴミは分けなきゃならないし、二酸化炭素は出してはならない。年金は不安だし、痛みは一杯押しつけられる。そんな今をみていると「未来はしょぼい」と感じざるを得ない。こんなしょぼい未来を子供たちに贈ったとしても、きっと喜んではくれない。
さてこんな状況で、自然はどんな叡智を働かせてくれるのだろう。見せていただきたいものだが、自然自身はこんな状況を想定してはいなかったはずだ。自然に叡智があるのなら、人間を根絶やしにして、自らの尊厳を取り戻すことを考えるに違いない。
時折地震や津波を起こしたり、怒っている風を火山の爆発で見せてはみても、人間を根絶やしにするまでの行動を自然は起こしていない。長いつきあいだから、きちんと考えを直すまで待ってくれているのかもしれない。自然の叡智とは、つまるところ忍耐なんだと思う。堪忍袋の緒が切れないうちに、人は叡智を発揮すべきなのだ。自然と共生し明るく輝く未来を作りうるきちっとした土台を作り上げ、未来へと引き継いでいく。そのために知恵を出すことが求められている。
大事なのは正義を振り回すことでも、宗教に頼ることでもない。バランスをとることにある。解決すべきは貧富の差、グローバルには南北問題にある。「得るもので生活を立て、与えるもので人生をたてる。」ことを多くの人たちが考えたら、メンツに頼らない施策が展開できる。イスラム教が悪くてキリスト教が正義でなんてことはないはずで、人の意地が叡智を食いつぶす。歴史に学んでも歴史に引きずられることなく、文化や存在を認め合うことから始める。人間の可能性はとても大きい。意識の持ちようでそれこそ無限のエネルギーを生み出す。
自然の叡智とは何か? 戒めを与え、奢りを排し、人が進むべき方向を指し示す憲法のような存在なのかもしれない。 |
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